@文由閣 vol.3
昨年の4月より9月まで、檀信徒の方々と曹洞宗の根本経典の一つである『修証義』を読み進めました。『修証義』は、曹洞宗の開祖、道元禅師の著された『正法眼蔵』から、その文言を抜き出して編集されたものです。よってそこに収められている内容は、歴代のお釈迦様をはじめとする歴代の祖師方が語ったこと、並びに道元自身の解釈などが存分に含まれています。『修証義』の総序はこのような文言から始まります。「生を明らめ死を明むるは 仏家一大事の因縁なり(人の生と死の因縁を覚るのは、すべての仏道修行者にとっての一大事である)」。
人間は生まれた瞬間から、死に向かう一方通行の旅に出ています。これは厳然とした事実です。お釈迦様はこの事実に対して、まずは知っておきましょう、と言っておられます。「“生と死”の中に仏の真理があるから、“生と死”を選り好みすることはありません」。人は、「私は、このお父さんとこのお母さんから生まれてきたい、あるいは何歳で死にたい」という希望は叶えられません。でも誰しも何時までも元気でいたいとか、死にたくない、と思ってしまいます。いやそうではなくて、「そのようなものから逃げ出さずに、でもそれを“覚り”とも思わず、ただただ“生と死”が、かけがえのないご縁であると腹を据えていきたいものであります」となるのです。人の“生”は、両親の“縁”から生まれたものです。まずはそのご縁に感謝するともに、そこから様々な生き物(動物、魚、野菜、穀物など)とのご縁によって、私たちは活かされています。新年にあたり、今一度「生を明らめ死を明むる」ということを素直に考えていけたらと思った次第です。
皆様良い一年でありますように、ご祈念申し上げます。涼仁拝